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2018, Feb 21【北アルプス 乗鞍岳 厳冬期】Mt.乗鞍スノーリゾート ピストン☆日帰り雪山登山♨

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2018年的農曆過年期間,和山友Bryan兄前往日本乗鞍岳和八ヶ岳山域進行雪季登山訓練。
2月19日晚上抵達羽田機場,乘坐高速巴士到新宿,晚上住宿在去年住宿過的旅館“新宿ビジネスホテル”,隔天早上9點出門,到中央東口附近的一蘭拉麵吃早餐,然後前往バスタ新宿(巴士總站),搭乘10點50分的高速巴士前往松本bus terminal。先去便利商店買些行動糧,然後乘坐上高地線電車前往“新島々駅”,然後再轉搭公車前往“乗鞍スキー場前”,晚上住在Ski Resort旅館街的天然溫泉旅館“なごみ湯 白樺”。
隔天早上吃完早餐,早上9點步行到滑雪場的リフト乗り場,乘坐3次リフト抵達かもしかリフト最上部(標高約1,970m的ツアーコース開始点)。夏季時,觀光客可以搭乘巴士直接抵達標高2,702m的畳平(乗鞍 bus terminal),但冬季公路早已被積雪覆蓋,這裡是冬季前往乗鞍岳最便利的登山口。
稍微整理一下登山裝備,早上9點50分啟程出發,稍早查看天氣預報,今天的天氣是多雲午後轉陰的天氣,因此從一開始就不抱持任何期待可以看見美麗的山景。從ツアーコース開始点出發後,雖然沿途足跡都很明顯,但沿路都是鬆雪,沒有買スノーシュー穿,每個步伐都走的相對費力,當下突然有點懊惱,但雖然如此,還是不影響行進的步調。
在沒有スノーシュー的狀態下,持續和鬆雪奮鬥了一個多小時,上午11點30分到達“ツアーコース終点 ”,這裡是分別前往“肩ノ小屋”和“位ヶ原山荘”的岔路口,位ヶ原山荘冬季有營業,如果安排2天1夜的行程,可以在那裡住宿一晚,但住宿必須事前預約。我們取直行繼續朝向肩ノ小屋前進。從岔路口開始,雪地上已經沒有明顯的足跡,天候也隨著時間逐漸變差,視野完全被濃霧所遮蔽,眼前只剩下一片白色,能見度大約只有10公尺,因此不時需要依賴GPS裝置來確認方向。
中午12點50分經過“大雪溪避難小屋”(當下以為這就是肩ノ小屋,後來回家查看地圖才知道並不是),小屋的入口處已經被封死,無法進去小屋取暖,只能站在小屋外吃點糧食補充水份。這時的溫度差不多有零下10幾度,加上風寒效應,手套一拿下來,手指頭瞬間失去知覺,後來發現小拇指有輕微凍傷。在這邊小休息10分鐘左右,繼續靠著GPS往山頂方向前進。
Bryan選了一條捷徑,走沒多久我就覺得奇怪,按常識來判斷,這種深雪和極陡的坡度,直覺就不是正常的登頂路線,後來回家查看…

日本の登山の歷史

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「人は何故に山に登ってきたか、その発展の歴史」

1、 生活の為の登山―古代
    (食料採取として、獣、木の実,山菜、石器の石採取、山への感謝=山は神)

2、 宗教的目的の登山―奈良時代―平安時代以降
    (古代は山を神と崇めたが、奈良、平安時代仏教が入り山は修行の場となった)

3、 戦略的、政治的支配の為の登山―戦国時代
    (戦いの場として、土地の支配、森林管理として)

4、 薬草採取の為の登山―江戸時代
    (医者、学者が高山植物を薬草とし採取、医療、研究)

5、  旅の中の遊びとしての登山―江戸時代~明治時代
    (文人墨客、画家、武士、医師、町人等、多くの人々が山を文化として育てた)

6、 科学的調査の為の登山―明治時代
     (土地測量、地質、鉱石、動植物、気候等の調査研究)

7、探検、スポーツとしての登山―明治時代~昭和
   (未知な山岳を明らかに、教育的スポーツ、人間の限界へのチャレンジ登山家)

8、趣味、自己表現、観光としての登山―現代
   (戦後のサラリーマン登山、プロの登山家、中高年登山、あらゆる層が商業化)


西暦和暦事  項652白雉3年・飯豊山:役の小角と唐僧知道和尚により開山と伝えられる。701天宝1年・佐伯有頼(ありより:越中守佐伯の嫡子)が逃げた父の鷹を追いかけて深山に入っていくと、熊に出会い弓を射る。矢を受けた熊は血を流しながら洞窟に入り、有頼もその後を追うと、そこには胸に矢の刺さった阿弥陀如来が顕れ、有頼に対し立山を開くようにと告げたという。その洞窟が立山室堂の「玉殿岩屋」。これが立山の開山と伝えられる。出家し名を慈興に改め、立山開山の為に尽力。717養老元年・泰澄上人(越前国麻生津:福井市南部の出身):白山を開山782天応2年・勝道上人(下野国:栃木県の南高岡:現真岡市出身):男体山を開山784延暦3年・勝道上人:庚申山に登頂し登路を開く。837承和4年・「霧島」が837年(承和4年)8月の続日本紀に初めて登場する。848喜祥元年・学問行者:戸隠山を開山。888仁和4年 ・北八ヶ岳の天狗岳が大崩壊を起こし、その結果、松原湖などの湖が誕生。1518永正5年・富士山で登山中の道者が嵐にあって13人死亡(我国最古の山岳遭難記録)1559永禄2年・武田信玄の配下の武将山県昌景が、飛騨を攻めるのに上高地から安房峠…

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